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木のおもちゃ作りを始めた
最初のキッカケは空き箱でした。
木のおもちゃって何をイメージしますか?木の車、ガラガラ玩具、積み木、KAPLAも知っている人にとっては定番ですね。私の場合は、幼少期の遊びのメインはTVゲーム、LEGO、ミニカーなどいった感じで、正直木の良さは保育士になり、月日が経ってもあまりピンときませんでした。
私の勤めていた保育園では溜めた空き箱を遊びで使うなんて光景が日常的な光景でした。園には、自分で作る事が大好きな5歳児のR君がいました。トイレットペーパーの芯がなくなったら、それを持ってきて“一緒に何か作ろう!”と元気に言葉を掛けてきたのをよく覚えています。空き箱もそんな流れで私の元に来て持ってきたのですが、その時は「せんせい!なにかつくって~!」でした。笑 今なら、自分で作ってみるように促したり、一緒に作る為のアイデアを考えたりするかも知れませんが、当時は“子ども達に何かをしてあげたい!”という気持ちが有り余ってました。そして、どうせ作るなら一般的な教本には載ってないようなオリジナルのモノが良い!と考え、「ビー玉迷路」を作る事にしてみたのです。
*私が迷路好きになったルーツはここから始まります。
その後、空き箱で作った「ビー玉迷路」は大流行しました。空き箱に絵を描いたような平面なものではなく、中に紙で出来た“小人”やスズランテープの川、紙粘土のドラゴンまで様々。担任ではなく、“フリー”という立場もあって、ずっと迷路をしている姿を見る訳にもいかないような状況でしたが、私の作った手作りおもちゃが子どもとの会話の中心になっていたので、「ビー玉迷路」が子どもとの会話のコミュニケーションツールになっていたのは、フリー保育士で一日同じ部屋にいる事ができない私にとってはとても嬉しい出来事でした。
ところが、製作して1週間ほどでR君が壊れたビー玉迷路持ってきました。ビー玉迷路はあまりにも人気で、あっという間にボロボロの状態になってしまったのです。R君は「せんせい~!せんせいなんだから壊れない玩具つくってよ!」と言い放ちました。その時、自分が"手作りおもちゃはある程度遊べば壊れるもの“という価値観である事に気付きます。同時に自分がフリーでいつも同じ部屋にいてすぐに直してあげられる状況にない事を改めて痛感しました。「自分が常に部屋にいなくても、壊れず安心して楽しく遊べるモノを作るべきだった・・・」と反省しました。
その後、そうした失敗を活かして壊れない「木枠のビー玉迷路」を作りました。この時、壊れないモノ作りって良い!と自分で作りながら感動します。出来た新しい木枠の迷路は頑丈で(当たり前ですが・・)ちょっとぶつかったくらいでは壊れません。そして、木枠のビー玉迷路を繰り返し遊ぶ子ども達の表情が“すこぶる良い“のです。それは壊れずに繰り返して遊ぶことの出来る!という安心から来る表情だと、2度の製作を通して感じました。
そして、それ以降も私にとって”木のおもちゃ作り”が自信になり、色々と作り続けました。また、当時は”男性保育士として出来ることは・・?”と自分の中でやたら自問自答をしていて、その答えが木のおもちゃ作りだったんですよね。また、嬉しかったのが卒園児の中に自由研究で「金子せんせいの迷路を真似して作った!」という男の子がいた事です。自分のおもちゃ作りには子ども達の心の中に残るモノがあるんだ!と思えました。
今後も心に残るようなモノ作りを心掛けて製作し続けていきたいです。
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