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​marble machine wall 2

 巨大壁面ビー玉転がし“marble machine wall 2”。白い街は緑で覆われ、街に家々が立ち並び、そこには「ドングリジン」が生活していた。工業化が進み、街は益々発展している。空を見上げると飛空艇や気球がこの地を偵察しているようだ。「ハザイジン」と呼ばれるかつて白い街に住んでいた民族が帰ってきたのだ。さあ、ここから始まるストーリーを一緒に楽しみながら考えてみよう。

#01

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前作からのストーリー

 はるか昔、ビー玉が走る不思議な白い街が突如として現れた。そこは日常的にビー玉が転がる街だった。小さな文明が育ちつつあり、独自の文化も発展した。2塔の巨大な風車は他の文明にはない技術の結晶で、たまに訪れる旅人が驚くべきものだった。住民は「ハザイジン」と呼ばれた。ところが白い街が発展し始めた頃、未知のウイルスが蔓延し、多くのハザイジンが倒れた。そのウイルスは動植物全てに感染していく。一族の全滅を阻止すべく、残ったハザイジンで他の地域に移り住むことになる。こうしてビー玉の街は滅亡した。

#02

街の暮らし

 ビー玉の街が滅亡してから、数千年経った後の世界は、、なんと文明が復活していた。ウイルスに抗体のある種族「ドングリジン」がビー玉の街に移り住み、独自の文明を築き、かつてよりも賑わいながら明るく暮らしていた。ウイルスで蔓延した白い街は、かつての姿はなく、多くが緑で覆われ、全てが浄化された姿として生まれ変わっていた。

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#03

ハザイの気配

 ビー玉の街の滅亡後、彼らは別の土地で未知の技術を磨いていた。「ヒクウテイ」「キキュウ」と呼ばれる、空を浮く乗り物の開発である。それらの技術が確立され、旧都市を視察したある時、避難したハザイジンは驚きを隠せなかった。既に滅亡したと思われていた街が他の文明に支配され、見知らぬ建物が数多く並ぶ都市になっていたのだから。ハザイジン達は状況を把握するために探索班を結成し、ヒクウテイから数名のハザイジンを街へ下ろしたのである。

#04

創造力とアートの意識(あとがき)

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​ その後、この街はどうなっていくのだろうか。人の歴史は数々の戦争を繰り返してきた。“ハザイジン”と“ドングリジン”のような状況を創造をしながら作品作りをしてみると、どうもこの後の展開は雲行きが怪しいようにも思える。現代の領土問題に近い状況が作品を通して見えてくる。

 日本では戦争と程遠いような暮らしの中で過ごしているような感覚に陥りがちで、ニュースを見てもピンとこないような事が多い。リアルな戦争を知らない現代の大人の感覚でそうした感覚であるなら、子どもにとって戦争とはどう映るのだろうか。今作のストーリーの流れでは、戦争が起こりそうな気配だが、子ども達ならどう捉えるのか。人の歴史から想起される発想ではない創造力が子ども達にはある。大人も過去に捉われない前向きな未来ある創造力が必要である。

 正直、今作を作り始めて終盤にストーリーを改めて考えるまではそこまで今回のようなストーリーを思い描けなかった。ビー玉の街というコンセプトで壮大なモノ作りをしたいという想いで作り続けてきたが、終盤に詳細なストーリーを付け加えながら、ハザイジンやドングリジンを配置しているとどうも現代社会に通じる部分があるような気がしてならない気持ちになった。今後、アトリエに来て遊びに来た子ども達や大人がこの作品を見たり遊んだりした後で、この作品のストーリーに触れてもらえると嬉しい。 

 

アートというジャンルは、どう社会に役立つのか分かりにくい一面がある。特に日本の場合はアートという文化が諸外国に比べて意識が高いとは言い難いようにも思える。日本の美術教育からそうした意識改革が必要なのかも知れないが、

​現代のアートに対する教育的意識はどの程度なのだろうか。、、とは言っても、自分自身がアートとは何か?という問いやどう社会に接続したものにしていくのかを模索している身であるので、あまり大それたことは言えないが、おもちゃ作家としてアトリエを今後も運営していくにあたり、今回のような“社会に繋がる作品作り”をするという事が、今後の作家活動をしていく上で大きな意味を持つように思う。

 marbule machine wall 2を通して、多くの人に色々な想いを想起させながら、様々な方向から直接的にアートやモノ作りについて取り組めるような入口作りを今後もしていきたい​。​

​2023.3.26

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