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おもちゃ作家の歩む道
おもちゃ作家として生きていく。おもちゃを通したものづくりは、あらゆる世代を超えてこれからの時代を作る礎になる。
子ども頃にあった未来に対する希望。
大人になった今はどうだろうか。
人はいつの時代も次世代へ繋ごうと生きる。
輝かしい良い未来の為に。
「工作芸術空間 アートギャラリー」構想の立ち上げと教育的意義を考える。
■ 「工作芸術空間 アートギャラリー」構想の立ち上げと教育的意義を考える。 2023.3.7
昨年は"marble machine wall2”が完成してから、インスタやテレビで話題になり、大きな反響と共に色々な人がアトリエに足を運んでくれるようになった。足を運んでくれた人の反応は様々で、世界観を楽しんでくれる人、夢中になって遊び込んでくれる人、涙を流す人もいた。自分が作ったものが色々な人の心に届いていくことに日々やりがいを感じた。ただ、アトリエは全体的にファンタジーの世界であり、これが実際の生活にどう直結していくのかという部分がずっと引っ掛かっていた。確かにアトリエの世界に触れること自体が多くの人にとっての刺激になり、何かの活力になっていくのかも知れない。だが、教育的な意義をよくよく考えた時にそれはただの一過性として過ぎ去っていくものだとしたら、ただの流行りのエンタメで終わる気がした。そうしたことを昨年の5月頃から考え始めて、アトリエのファンタジー溢れる世界観とは真逆のリアリティのある世界観を作ろうと思った。それがアートギャラリー構想のはじまりである。
アトリエのコンセプトがビー玉中心の世界観とするなら、アートギャラリーのコンセプトは‟手業として残る工作体験”である。手業というと堅く聞こえるかもしれないが、簡単に言ってしまえば手を使ったものづくりは全て手業だ。ただ、一般的に手業は伝統工芸で使われることが多いので、‟てしごと”とした方が聞き馴染みがあるかも知れない。
冒頭で述べたアトリエにおける教育的意義を考えると、そうした実になる体験は「木のロボットをつくろう」などのワークショップがあるが、やはりそれもある程度こちらで用意されたものを組み立てていくというものになっているので、生み出すという行為自体としては軽い。他のビー玉遊び物に教育的意義としての要素があるかを考えると、マーブルマシンは回す行為を自身で行っているものの、何かを生み出しているわけではないので、エンタメとしては面白いが、半受動的な要素が強いのである。
こうしたことを保育士をしながら日々アトリエを運営していくと、子どもとのやりとりの積み重ねが人の成長へ繋がっていく事を保育者として日々実感しているが故に歯がゆい思いを感じていた。一見すると、煌びやかで素敵な空間を作っているように見えるかも知れないが、そうした側面を考えるとアトリエで過ごす自分の行いは虚無的なものではないかと怖くなることすらある。おもちゃ作家として独りよがりにおもちゃやエンタメを作り続けたい気持ちと教育者として自分がアトリエにどう価値を見出していくことが必要なのかを考え続けた。その答えがアートギャラリー内で行う‟自由工作体験”であり、そこは自分の作家としての要素というよりも、ものづくりをもっと好きになりたい人に向けたキッカケ作りの場であり、デジタルの進歩が目まぐるしい時代だからこそアナログなおもちゃに触れるだけでは現代は既に足らず、本質的な自らの手で作り出す“手業”という行為が必要不可欠ではないかと思う。なぜなら、日常の生活で失われつつある行為だから、、である。
昨今、デジタルの普及と進化で驚くことが増えてきた。大人はどんどん新たなテクノロジーを使い日々の生活を豊かなものしていくが、反対に子ども達にとって教育の在り方を考えていくと思う所が多い。子どもの屋外によるあそび場の減少、ゲーム・スマホ依存、顧問不足による部活動の廃止、不登校児数過去最多などなど、数十年前から世の中にあった社会問題も新たな社会問題もアトリエを運営してから、色々な人との出逢いの中で良く見えるようになった。
どの問題も直接的に自分が変えられる問題ではないのかも知れない。それでも間接的な繋がりの連鎖がアトリエで関わる色々な人を介して見えるようになった。アトリエに来るのはほとんどが家族連れなので、それぞれの子どもに対する関わりで子育て観も見えてくるし、子どもにとってビー玉のおもちゃで楽しいひと時を送って欲しいと思う親心も傍で感じる。そして、同時に閉塞した時代感の中で元気を取り戻しにきたようにも見えてしまう。単にエンタメとして楽しみたいという家族がいる一方で、様々な社会背景からアトリエの場を必要としていることにも気付いてしまった。遊びに来てくれたお母さんの中で「色々とあそび場はあるけれど、あえて大型施設よりもアトリエの方が断然良いよ」と言ってくれるお母さんがいた。嬉しかった。だが、その発言をした真意をよく考えると、親にとっても心の癒しが必要で子どもを遊ばせるにしても教育として確かに価値のあるものに意味があると思っているのではないかと思う。現代は教育リテラシーがある人が増えてきているのかも知れない。
多様な人が世の中に存在し、情報化社会の中でより可視化されるようになり、発言の根拠(エビデンス)を求められることが当たり前。SNSなどで必死に情報を出し合う日々。どこか遊びに行くと人々は写真にその時の撮れ高をスマホで撮影し、満足する。自分も当たり前になったこの状況を今一度考えないといけない。本来、その時々の出来事はスマホに納めるものではなく、その人の心に収めるものである。アトリエは色々と普段は見ないような世界観なので写真に納めたくなる気持ちもわかる。SNSの拡散は大歓迎!だが、やはりそこも冒頭で述べた一過性のエンタメで終わって欲しくない願いがあるので、お客さんとやりとりしたり、遊びを伝えたりする中で心から何かを感じてもらい、その人の人生の中で大事な瞬間であって欲しいと思う。そうした心のやりとりが教育的価値なのではないだろうか。
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